【香港・北京・ローマ旅行記】フォロ・ロマーノとパラティーノの丘の歩き方

フォロ・ロマーノ イタリア
フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノとパラティーノの丘に行ってきました。

入場

フォロ・ロマーノとパラティーノの丘は出入口がいくつかあります。

コロッセオの後に回るのが効率がよさそうだったので、コロッセオ側から入ってみました。

ちなみにコロッセオに行った話はこちら。

オーディオガイド

フォロ・ロマーノとパラティーノの丘の丘ではオーディオガイドが借りられます。

海外の観光地ではオーディオガイドをよく借りるのですが、今回は借りませんでした。

借りた場所で返さなければいけないというような情報があったからです。

その情報の真偽は不明ですが、フォロ・ロマーノを通り抜けてヴィットリアーノ側の出口から出たいと思っていたので、元の場所に戻らなければいけなくなるのは都合が悪いのです。

入口付近

コロッセオ側の入口から入ったところに凱旋門的ななにか。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノとパラティーノの丘は境界があいまいですが、入口付近は特にどちらなのかよくわかりません。

まあ、どっちだとしても見て楽しければいいんじゃないかと。

門に書いてあるのはラテン語でしょうか。

少なくともイタリア語ではなさそうです。

コロッセオ側入口近くからは、コロッセオを見下ろすことができます。

フォロ・ロマーノから見るコロッセオ
フォロ・ロマーノから見るコロッセオ

コロッセオ入場の列が意外と短い気がします。

雨が降っているからでしょうか。

パラティーノの丘

フォロ・ロマーノ、パラティーノの丘には順路のようなものはありませんでした。

なので、足の向くまま気の向くまま歩いてみます。

最初はパラティーノの丘。

私は遺跡を今までいろいろと回ったことがあります。

ペルーのマチュピチュ、ベトナムのホイアン郊外、イギリスのストーンヘンジ、モロッコなどなど。

遺跡を歩くのってその場では楽しいんですが、わかりやすい目印が無いので、後から何がなんだか思い出しづらいんですよね。

そんなわけで今回も写真とあやふやな記憶でお送りします。

謎の広場。

パラティーノの丘
パラティーノの丘

広場を囲むように謎の石が等間隔で並んでいます。

石が高くてせいぜい1メートルくらいなので、柱だったわけでもなさそうです。

今は草が茂っていますがかつて在りし日の姿はどうなんでしょう。

広場だったのか競技場的なものだったのか。

オーディオガイドもなく、前提知識もほとんどないので、自由に想像が膨らみます。

橋状の構造物。

パラティーノの丘
パラティーノの丘

この形になるように、昔の人が石を積み上げたはずです。

アーチ型になっているのは力学的に安定するからでしょう。

建築に関する歴史的・物理的な知識があると、こういう遺跡巡りって楽しめるんじゃないかなと思います。

どの構造が安定するのか、昔の人が気づいていたことにも驚きですし、石を積み上げるための、物理的な力も権力もあったということも驚きです。

遺跡の隙間。

パラティーノの丘
パラティーノの丘

見学ルートとしては高い部分が歩けるようになっていましたが、実際この遺跡が現役だった当時は、高いところではなく、低いところが道だったんじゃないでしょうか。

その方が自然な感じがしますが、そう考えると逆に周囲の高い構造物が歩道として整備されすぎています。

現代の建物だとビルとビルの間に空中の連絡通路がある場合がありますが、それと同じ発想だったんでしょうか。

だとしたら当時の人の発想が先進的すぎる気がします。

あるいは、そこから人類の発想が進歩していないだけなのか。

いずれにしても興味深いです。

謎の広場。

パラティーノの丘
パラティーノの丘

石の表面の高さが揃っているので、当時からこの高さだったんじゃないかと思います。

用途はなんなんでしょう。

ベンチにしては形が凝り過ぎているような。

白い石の構造物。

パラティーノの丘
パラティーノの丘

屋根に覆われていますが、この屋根は後世に設けられたものでしょう。

この白い石は雨に弱いのかもしれません。

鉱物の性質っていうのも知っておくと、こういう時の分析に役立つんでしょう。

上の部分がボロボロになっていることを考えると、当時の姿はもっと高い構造だったんでしょう。

そして天井もあったんじゃないでしょうか。

しかしこれだけだと当時の用途があまり想像できません。

案外、ただの住居で、当時の珍しい素材で作った奇抜な家であったという可能性だってありそうです。

パラティーノの丘の散策中、自販機コーナーを発見。

パラティーノの丘
パラティーノの丘

飲み物だけでなく、お菓子も売っていたのでここでエネルギーをチャージ。

再び散策へ。

またもや謎の広場。

パラティーノの丘
パラティーノの丘

こういう、目立った特徴のないところこそ、当時の普遍的な部分を知るためのヒントになりそうですが、素人が見てもさっぱりわからないです。

序盤に見た謎の広場に戻ってきました。

パラティーノの丘
パラティーノの丘

パラティーノの丘はだいたい歩き回ったようです。

フォロ・ロマーノを見下ろせる展望台

パラティーノの丘からフォロ・ロマーノに向かう途中、フォロ・ロマーノを見下ろせる展望台がありました。

展望台からの眺めは素晴らしい。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノだけでなく、その向こうのヴィットリアーノや、周辺の街並みも見えます。

ローマは古い建物と新しい建物のどちらもありますが、新しい建物であってもその高さや色合いは、古い建物にくらべて大きな差がないので、景観が綺麗です。

古い建物を古い建物らしくしている要素がなんなのかを理解していないとこうはならないので、なかなか大したものです。

少し角度を変えてみます。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

一概にフォロ・ロマーノと行ってもいろいろな見え方があります。

個人的に一番のお気に入り。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノ、ヴィットリアーノ、その2つを結ぶフォーリ・インぺリアーリ通りと、いろいろな要素が入っています。

フォロ・ロマーノの象徴的な古い柱も手前で存在感を放ってていい感じ。

展望台ってこんなところです。

フォロ・ロマーノを見下ろせる展望台
フォロ・ロマーノを見下ろせる展望台

なんとなく、グラナダのサン・ニコラス展望台を思い出しました。

涼しげな展望台から歴史ある場所を見下ろすのって、とても贅沢な時間の使い方だと思います。

展望台そばの建物の中には謎の像。

パラティーノの丘
パラティーノの丘

知識を仕入れていなさすぎて、何もかもが謎。

浅い楽しみ方だとしても、本人が楽しければいいのです。

フォロ・ロマーノ

展望台から下りて、フォロ・ロマーノにやってきました。

立派な柱が残った建物。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

2階窓にガラスがはまっています。

ガラスっていつの時代からあるんでしょうか。

先ほどフォロ・ロマーノを見下ろした展望台。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

展望台が天然の高台ではなく人工的に作られたというのが分かります。

展望台のすぐ下には花の植えられた庭。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

この花というか植生は遺跡の当時から同じなんでしょうか。

たぶん違うと思いますが。

そもそもかつてここがこういう庭だったかもわかりません。

フォロ・ロマーノにはそこらに意味ありげな石が転がっています。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

持ちだしたらどこかに高値で売れたりしないものでしょうか。

かつて柱だったらしい石が砕けて転がっています。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

もしかして復旧のためにつなげるようパズルをやっている途中ですかね。

まだ崩壊していない柱。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

こう中途半端に残っている状態が一番崩壊しやすそうな気がします。

フォロ・ロマーノ中央近くにあったいわくありげな場所。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

お墓か何かですかね。

フォロ・ロマーノには、というかローマにはこういう鳥がよくいました。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

カモメかなと思っていたんですが、どうも見た目的にはウミネコらしいです。

ただ、鳴き声はウミネコっぽくなかったような。

だいぶ原型が残っている柱。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノの西側の端あたりにあります。

柱としてはこれが一番立派だった気がします。

フォロ・ロマーノ西にも凱旋門らしきもの。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

この天井の模様って、さっき転がってた石の模様にそっくりです。

現存するものの他にも凱旋門的なものが当時はあったってことかもしれません。

端のほうから展望台まで見上げてみます。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

遺跡という意味がなかったとしても、公園としていい場所だと思います。

出口そばの壁画。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

人が注目しないようなこんなところまでこんな意味ありげなものがあります。

フォロ・ロマーノおそるべし。

感想とまとめ

パラティーノの丘とフォロ・ロマーノについて紹介しました。

先進国首都の中央駅からわずか2駅の光景とは思えないくらい広いところです。

あまりに広いので自分がどこにいるのかわからなくなるほど。

オーディオガイドを借りてもないのに3時間もかかってしまいました。

こんな巨大な建造物が発掘されるとか日本では考えられないことです。

そもそも古代の日本にこんな巨大な建造物はないでしょう。

没落した古代文明ってロマンを感じます。

他にもいろいろ巡っています。

一連の旅についてはこちらからどうぞ。

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