先日読んだふくろうの本というレーベルの本が、いろいろと興味深いものが多いので、最近は他にもいろいろと読みあさっています。
その紹介記事はこちら。
今回紹介する本はこちらです。
全体的な感想
この本をきっかけに、中欧を旅行した時のことを振り返ることができて、ますます中欧の歴史に興味が湧きました。
図説というだけあって、ほぼ全ページに写真・絵画・地図等ビジュアル要素があります。
それらを眺めるだけでも結構面白いですし、まず全体観を掴むために、そうした読み方もわりと悪くないと思います。
訪れた場所
この本に紹介されている場所のいくつかは、かつて中欧を旅行した時に訪れたことがあります。
まさに中欧の歴史はハプスブルク帝国の歴史ともいえるのではないかと。
図を眺めていて印象的だったところを振り返ります。
シェーンブルン宮殿
まずはシェーンブルン宮殿。
ハプスブルク帝国との関わりがとても深い印象です。
歴史の中で見れば、30年戦争終結でオスマン・トルコの脅威が去ったあとにバロック様式が花開き、シェーンブルン宮殿もその様式になっています。
テレジアイエローとよばれる黄色は、赤・茶色・白の街並みを背景にするととても目立ちます。
マリア・テレジアの夫フランツ・シュテファンが金色にしようとしたところを、予算的な問題で諌めて黄色になったのだとか。
それでも十分にきらびやかです。
華々しい歴史ばかりでなく、ハプスブルク家は何度も外敵に攻められています。
フランスのナポレオンが1805年にウィーンに無血入城し、また1809年には激しい戦闘でウィーンを攻略しています。
シェーンブルン宮殿はその都度ナポレオンの宿営本部となったのだそうです。
ブダペスト王宮
マリア・テレジアはまた、ブダペストの王宮の再建も行っています。
ドナウ河のクルーズから眺める王宮の姿は美しいものでした。
ハプスブルク帝国はドナウ河を軸とした帝国でもあるということです。
知識が一つ増えたので、今後はドナウ河と聞けば自然とハプスブルク帝国のことを連想しそうです。
ウィーンの美術史美術館
ハプスブルク帝国といえば結婚政策です。
戦いは他のものにさせるがよい。汝幸あるオーストリアよ、結婚せよ。
という詩が作られるほど。
ハプスブルク家から嫁がせるばかりでなく、ハプスブルク家に嫁いでくるパターンもあります。
その一例がマルガリータ・テレサ。
スペイン王フェリペ4世の娘がハプスブルク家のレオポルト1世のもとに嫁いできます。
そのマルガリータ・テレサの肖像画がウィーンの美術史美術館に展示されていました。
幼少期の肖像画ですが、とてもきれいで印象に残る絵です。
ハプスブルク帝国の歴史をたどる旅をするなら、美術史美術館は外せないところです。
聖ヴィート寺院
ハプスブルク帝国の周辺諸国の歴史も、ハプスブルク帝国を理解するために知っておきたいところ。
周辺国の一つであるボヘミアの王冠が、プラハ城内聖ヴィート寺院の聖ヴァツラフ礼拝堂に安置されているそうです。
訪れた当時は全然気にしていませんでしたが、もしかしたらその時に見たかもしれません。
カレル橋
ボヘミアの名君としてカレル4世がいます。
名君であり、現在のチェコの首都プラハを流れるヴルタヴァ川にカレル橋をかけた人物でもあります。
いまやカレル橋はプラハを代表する観光名所の一つですが、そんなところにも歴史があるのです。
まとめ
今回はこの本を紹介しました。
知識が増えるほど旅が面白くなります。
中欧に行くならばその前に読んでおくときっと楽しさが増します。